美しき極楽浄土。


#1 平泉へ

話は1年前に戻る。自身初の東北旅、物語のあふれる遠野に向かう前日、私は奥州藤原氏がおよそ100年にわたり太平の世を治めた平泉に向かった。なぜ、旅のあとすぐに記さず、1年も経過した今になって綴るのか、それには深い深い理由がある。勿論、書き忘れていたわけでもなければ、平泉に行っていたことがバレることにより、不利益を被る恐れがあるから隠蔽していたというわけでもない。その証拠に全ての行程を赤裸々に記載しようではないか!

2014.11.7|金 岩手旅行1日目行程表
8:50|上野駅
 ↓ JR新幹線やまびこ
11:23 / 11:35|一ノ関駅
 ↓ JR東北本線
11:43|平泉駅
 ↓ 徒歩
12:00平泉遺産文化センター
 ↓ 徒歩
12:45 / 14:18|毛越寺
 ↓ 平泉町巡回バス「るんるん」
14:25 / 16:45|中尊寺
 ↓ 徒歩
17:31|平泉駅
 ↓ JR東北本線
18:56|盛岡駅
 ↓
19:00|ぴょんぴょん舎

 
疑いが晴れたところで、深い深い理由を述べよう!初日に撮影したSDカードを紛失してしまったのだ!…浅い!!深酒をしたあとの睡眠ぐらい浅い!!2014年の年末に大掃除をしていた際、思いもよらぬカバンから発見されたのである。私は声を大にして伝えたい。なくなったものを見つけるために大掃除をしようではないか!!と。1年中、雨風から私たちを守ってくれる家に、感謝を伝えるように掃除をする。それによって、家の中で組織された幹部会で、反省はしているようだ。返してやりなさい。と恩赦が出たりする。探しものはそうやって許されてはじめて見つかるものなんだ。きっとそうだ。…家の中の幹部会って何だ!?


#2 毛越寺へ


平泉駅で下車し、毛越寺を目指す。岩手を初めての東北旅に選んだ理由は、遠野物語と、この毛越寺にある。2004年、私が大学3年の時分、大好きな音楽家、姫神の星吉昭さんが逝去した。10月1日、心不全だった。各地に伝承された民謡をアレンジしたり、地元東北地方をテーマにした音楽を綴った方で、情景の浮かぶメロディが頗る美しい。第46回日本レコード大賞の特別功労賞も贈られている。雄大かつ繊細で趣のある音楽を紡ぐ星さんの葬儀が行われたのがここ毛越寺だった。


 
山門をくぐり、本堂へ向かう。 
拝む、そして、拝む。

#3 浄土庭園の美しさ


本堂で拝み、右手に目をやる。広く開けた視界には、えもいわれぬ景色が飛び込んできた。衣替えした木々の赤や黄、高く突き抜ける空の青、常緑樹のやわらかい緑、それらを淀みなく映す水面。緻密に構成された空間に目を奪われ、思わず立ち尽くす。毛越寺の庭園は日本最古の作庭記をもとに平安時代に作られた極楽浄土の世界を再現した浄土庭園だそうだ。まだ、秋とはいえ、東北の冬を想像できるような澄んだ空気が体をスーッと吹き抜けて、浄化されていくのが分かる。静かで穏やかで、ここに立っていると、喜怒哀楽が全て鎮まっていくような感覚になる。全てを受け入れて、平常でいられる場所。ああ、なるほど。極楽浄土はきっとこんな場所なんだろうなぁと、行ったこともないのに思えてしまう。(お前は悪い奴じゃけん、死んでも極楽には行けんけどの!!)…誰!?今、悪口言った人!!今、悪口言った広島の人!!(喜怒哀楽が全て鎮まるんじゃなかったんか!この小人物が!!)なんじゃとこらーっ!!…と言いたい気持ちを鎮めるため、iPodに姫神の浄土曼荼羅をリクエストし、目の前に広がる大泉が池をぼんやり眺めながら、全身に音楽を取り込む。




#4 庭園を廻る

時計周りに庭園を歩く。紅葉の葉が赤や黄色の光を放っている。花菖蒲園を抜け、毛越寺を開いた慈覚大師円仁を祀った開山堂を参拝する。新緑の季節や、菖蒲の白や紫で彩られた初夏の毛越寺もまた美しいに違いない。四季の移り変わりとともに、装いを変える様をじっくり味わいたくなる。
 
 
苔むす道を進むと、池に水を引き入れるための鑓水が見えてくる。この鑓水は平安時代から往時の姿のまま残る遺構で、5月には、ここで平安時代に盛んに行われた「曲水の宴(ごくすいのうたげ」が行われる。「曲水の宴」とは、鑓水の流れに盃を浮かべ、流れくる間に和歌を詠み、詠み終わって盃をいただくという遊びらしい。…趣がありすぎて、想像できん!イメージできるだけの材料を持ち得ず、徒に時計を回し、30年を超えてしまった私をどうかお許しください。優雅な情景であることは間違いないと思われますので、優雅な情景であることは間違いないと思われますとお伝えください。
 
 
鑓水に架かる小さな橋を渡った常行堂の手前に、何とも包み込むような佇まいで地蔵菩薩が鎮座している。春の日差しのような、秋の頬撫でるそよ風のような穏やかな表情で、丸い玉のようなものを持っている。大切そうに持っているのは卵か?卵を持って安堵している顔なのか?だとすると後の板東英二ということか。うん、我ながらいい推理だ。答えは分かってしまったが、念のために案内板を見てみようではないか。ー「如意の玉」といわれ、このお地蔵様を信仰すると、願い事が心のままになるという意味である。ー なるほど、全然違った!それでお地蔵様はこのような包容力のある顔をしているんだと分かったところで、卵のくだりを恥じ、極楽浄土への切符獲得は絶望的になったと感じざるをえなかった。私のこのザワザワした心の動きをおおらかに受け入れる面持ちのお地蔵様に願い事をこう伝えました。「どうか卵のくだりは聞かなかったことにしてください。」
 
 
大泉が池をぐるりと廻り、美しい海岸線を表現した「州浜」を眺める。美しく描かれた柔らかい曲線が頗る心地よい。左手に視界を広げると、波の打ち寄せが激しい「荒磯(ありそ)」を表現した出島石組と池中立石が現れる。水面から突き出した石が、庭園を印象的に演出している。
 

#5 極楽浄土

極楽浄土の世界を再現した毛越寺庭園と同じ岩手県にある遠野市を舞台に綴られた遠野物語にも、死後の世界にまつわる話がある。
 
 

先年佐々木君の友人の母が病気にかかった時、医師がモルヒネの量を誤って注射したため、十時間近い間仮死の状態でいた。午後の九時頃に息が絶えて、五体も冷たくなったが、翌日の明け方には呼吸を吹き返し、それが奇跡のようであった。その間のことをみずから語って言うには、自分は体がひどくだるくて、歩く我慢もなかったが、向こうに美しい処があるように思われたので、早くそこへ行きつきたいと思い、松並木の広い道を急いで歩いていた。すると後の方からお前たちの呼ぶ声がするので、なんたら心ない人たちだと思ったが、だんだん呼び声が近づいて、とうとう耳の側に来て呼ぶので仕方なしに戻ってきた。引き返すのがたいへんいやな気持がしたと。その人は今では達者になっている。(『遠野物語拾遺』第155話)

 

佐々木君の友人某という人が、ある時大病で息を引き取った時のことである。絵にある竜宮のような門が見えるので、大急ぎで走って行くと、門番らしい人がいて、どうしてもその内に入れてくれない。するとそこへつい近所の某という女を乗せた車が、非常な勢いで走って来て、門を通り抜けて行ってしまった。くやしがって見ているところを、皆の者に呼び返されて蘇生した。後で聞くと、車に乗って通った女は、その時刻に死んだのであったという。(『遠野物語拾遺』第156話)

いずれも、死後の世界は美しい場所で、そちらに行きたいのに、呼ぶ声がするので、渋々戻ってきたという話になっている。きっと毛越寺に再現されたような、頗る美しい世界だったのだろう。


毛越寺 ー まほろば vol.2 ー


天台宗別格本山毛越寺
岩手県西磐井郡平泉町平泉字大沢58
世界遺産・特別名勝・特別史跡