近代建築の巨匠 ル・コルビュジェが描いた美術館のかたち。

#1 上野駅から美術館へ

9月19日(水)、曇り。「これが曇りだよ。」と小さい子に説明するには絶好の空模様。上野駅を出て、公園への近道と書かれた長い階段を上る。息を切らしながら、体力の衰えを嘆きながら、一段一段上る。階段が終わったと思えば、8月から始まったツタンカーメン展に蜿蜒長蛇の列。観たいなぁ、古代エジプト。拝みたいなぁ、ミイラ。でも私には世界遺産暫定リストを伝えるという使命があるし、アレルギー性鼻炎という持病もある。緊張するとおなかが痛くなるという体質もあるし、桃を食べると口の中がヒリヒリする。人に聞くと、どうやらアレルギーのようだ。30を迎える前に、驚愕の事実を突き付けられた。桃、林檎、梨、全部ヒリヒリする。全部好きなのに。茫然自失する私をよみがえらせるのは、アートしかない。アート以外にもあるけど、アートしかない感じにしないと進めないから、「だから私は行く、国立西洋美術館へ。」に繋げる流れを作れないから、アートしかない!14世紀から20世紀に至るまでの西洋美術を閉じ込めた世界遺産暫定リストを伝えた暁には、アレルギー性鼻炎と食物アレルギーが改善されるかもしれない。だから私は行く、国立西洋美術館へ。

1.常設展看板。「睡蓮」「舟遊び」など、モネの絵画を筆頭に、著名な画家の作品をいつでも堪能できる。2.壁に掲げられた「国立西洋美術館」。3.正面出入口の手前に広がる前庭。人が写らないその一瞬を狙って待つこと15分強。体感時間は1時間。睡眠時間はだいたい6時間。


#2 ル・コルビュジェ

国立西洋美術館はフランスの建築家で、近代建築の巨匠と呼ばれた「ル・コルビュジェ」により設計された。コルビュジェ建築のカギ、1つ目はモデュロール。モデュール(基準寸法)とオル(黄金)を合わせたコルビュジェの造語で、人体のサイズを基にした寸法を考案しており、本館では、円柱の間隔、天井の高さ、庭の石畳や、表面に砂利を敷いた外壁のデザインにいたるまでモデュロールが採用されている。2つ目のカギは、近代建築の5原則。建物を壁でなく柱で支える高層の近代建築を推進するもので、壁の面積を減らすことにより、デザインの自由度を飛躍的に高めた。
国立西洋美術館は、ル・コルビュジェが散りばめた黄金比と自由なデザインにより、豊かな表情を持ち合わせている。
美しい表情を湛えた外観を眺めながら、また、急な腹痛に備え、トイレの位置を確認しながら、私は柔らかさに包まれた館内へと足を運ぶ。



ル・コルビュジェ 近代建築の5原則
1「ピロティ」…建物を壁でなく柱で支え、地上階に吹き抜け空間を形成する。
2「屋上庭園」…瓦屋根でなく平らな屋上を採用する。
3「自由な平面」…仕切り方により、多様な空間を演出できる。
4「横長の大きな窓(水平連続窓) 」…採光し、部屋を明るくする、大きな窓を採用する。
5「自由なファサード(正面)」…様式にこだわらない自由な外観デザイン。
 

 
 

#3 無限成長美術館

ル・コルビュジェがこだわり続けた成長していく美術館。このコンセプトは、本館にも採用されており、その根底には、過去の事物を捨てず、収集を重ねて、学習の対象にするという精神があった。時間は放っておいても進行し続け、過去になり、生み出された事物はあふれる。それらを収蔵するためにはどうしてもスペースが必要になる。元の建物の景観やコンセプトを損なわずに増築することは常に課題となっていた。ル・コルビュジェはこの課題に対し、四角い螺旋状という答えにたどり着いた。事物が増えれば、その外周に螺旋状を増築し、また事物が増えれば、螺旋を増やす。この解により、元のコンセプトを損なわず、成長する美術館が生まれた。

ル・コルビュジェは、世界の平和と発展のために、過去からの学習と発見こそが大切だと考えてきた。過去の事物を収蔵する箱である博物館・美術館の研究を続けた。本館は、その研究の成果が詰まった建物で、また彼の特徴である採光による空間の変化を体感できる建物だ。


#4 歩いて感じる

ル・コルビュジェ建築の代表的な特徴「建築的な散歩道(プロムナード・アルシテクテュラル)」。それは、建物を机上で考えられた間取りとしてではなく、移動する景色の連続と捉える考え方だった。彼は、絵画という目的にたどり着くまでの間に移り変わる景色と、その目的に出会うための道程でのワクワク感を包含した時間的要素が混ざり合った景観を見事に建物に応用している
本館にも、前庭からピロティ、19世紀ホール、その頭上に広がる吹き抜け、中央に置かれたスロープ、そして展示回廊と、「歩いて感じる」を形成する仕掛けが多様に施されている。


#5 松方コレクション

国立西洋美術館は、松方コレクションを保存公開するために生まれた。このコレクションを築いた、本館を語るうえで欠かせない人物、松下幸次郎について紹介していきたい。彼は、わずか30歳にして川崎造船所(川崎重工業の前身)の初代社長になり、留学で磨かれた国際的な視野と積極経営で神戸の一造船所を世界的企業に駆けあがらせる。彼は第一次世界大戦勃発が近いと推察すると、注文もこないうちから大型船の造船を開始した。開戦後、船の不足した欧米でその船は飛ぶように売れた。その莫大な富が西洋美術のコレクションに充てられることになる。目的は、まだ美術館もなかった日本に本物の美術を持ち帰り、若い世代に見せるためだった。
彼は、2度にわたる渡欧のわずか数年間のうち、1万点のコレクションを築いた。松方コレクションの柱と言えるモネとは親交があり、高級ブランデーを手にパリ郊外のモネ邸を訪問し、本人との交渉により、売るつもりのなかった18作品を譲ってもらったという。

1.クロード・モネ 睡蓮 1916 油彩、カンヴァス 2.クロード・モネ 舟遊び 1887 油彩、カンヴァス
#6 翻弄されるコレクション
第一次世界大戦で莫大な利益を得た川崎造船所だったが、1920年代に入ると軍縮による軍艦製造禁止、関東大震災、金融危機が相次ぎ、経営が悪化。彼は会社を支えるため、コレクションを売却することになる。売却後、第二次世界大戦で焼失したり、国外に流出した作品も少なくなかった。それらを除き、残ったコレクションはロンドンとパリに700点だったが、ロンドンに保管してあった約300点は倉庫の火災により全焼し、ついにはパリに残された約400点となった。
大戦終焉後の1951年、サンフランシスコ平和条約締結の際、吉田茂首相はフランスに松方コレクションの返還を要求。フランスは受け入れたが、作品はいったんフランスの国有財産となったため、返還ではなく、寄贈とすること。ゴッホやゴーガンの作品は寄贈から除外すること。これらの作品を収蔵する美術館を新設することなど、多くの条件をつけられた。
様々な課題をクリアし、1959年3月にようやく美術館は竣工、4月にフランスから届いた作品は、早朝、パトカーと白バイに護衛された12台のトラックで運びこまれた。歴史の遷移に翻弄され、再び日本に戻ってきたコレクション。こうしてじっくり堪能できるのは、頗るありがたいことだ。
1.クロード・モネ ウォータールー橋、ロンドン 1902 油彩、カンヴァス 2.クロード・モネ 陽を浴びるポプラ並木 1891 油彩、カンヴァス

常設展・作品集1~松方コレクション

 

 
1.ジョヴァンニ・セガンティーニ 羊の剪毛 1883 - 84 油彩、カンヴァス 2.エミール=オーギュスト・カロリュス=デュラン 母と子 1897 油彩、カンヴァス 3.ピエール=オーギュスト・ルノワール 帽子の女 1891 油彩、カンヴァス 4.ポール・ゴーガン 海辺に立つブルターニュの少女たち 1889 油彩、カンヴァス 5.オーギュスト・ロダン 地獄の門 1880 - 1917 ブロンズ

常設展・作品集2 

 
1.藤田 嗣治 或る女 1929 油彩、カンヴァス 2.アルベール・グレーズ 収穫物の脱穀 1912 油彩、カンヴァス

旅人にむけて


国立西洋美術館
〒110-0007
東京都台東区上野公園7-7
tel|03-5777-8600
hpwww.nmwa.go.jp
e-mailwwwadmin@nmwa.go.jp
open9:30-17:30 ( Fri. 9:30-20:00 )
closedMon. 12/28-1/1
旅人にむけて
JR上野駅下車(公園口出口)徒歩1分、京成電鉄京成上野駅下車徒歩7分、東京メトロ銀座線、日比谷線上野駅下車徒歩8分。
詳細は、左記ホームページをご覧ください。
東京駅からのアクセス
東京駅 ―(JR上野東京ライン5分/JR山手線7分)→ JR上野駅
アルゼンチン共和国からのアクセス
エセイサ国際空港 ―(マイアミ、サンディエゴ経由、フライト約28時間)→ 成田空港(空港第2ビル駅) ―(京成特急スカイライナー約40分)→ 日暮里駅 ―(JR山手線約4分)→ 上野駅
 
国立西洋美術館-世界遺産暫定リスト巡り-
The National Museum of Western Art-Pilgrimage to Tentative List of World Heritage-
参考文献:国立西洋美術館企画・監修『国立西洋美術館 公式ガイドブック』
藤木忠善著『ル・コルビュジェの国立西洋美術館』